被害者は八方ふさがり

今熱を帯びている財務省事務次官によるセクハラ疑惑。
「誰が悪いのか」というテーマで様々な角度からそれぞれの持論が飛び交っています。
セクハラ問題では必ず、被害者がバッシングを受ける、不思議な国です。

セクハラの被害を正攻法で訴えても、男性社会の中では握りつぶされてしまうことがほとんどです。
今回のテレ朝も初動はそうでした。

特に記者という仕事は大変です。
「オンナ使ってでもスクープ取ってこい!」と命じられ、できないと逆らえば「これだから女は使えないんだ」と切り捨てられる。

だから男職場で働く女性は、分単位でシャワーのように浴びせられるセクハラ言動も、笑って聞き流すしかないのです。

では、笑って聞き流すことにも耐えられなくなったとき、女性はどうすればよいのでしょうか。
正攻法では戦えない、となると、正しくはないかもしれないようなやり方で、斜めから問題提起するしかないのです。

しかし必ず、この度のように、被害を訴えた側に対する非難の声が上がります。
metoo運動も然りです。

セクハラという問題はある意味パワハラよりも厄介で、被害者に対する妬みを含んだ揶揄が標準装備されています。
「君が誘ったんじゃないのか」
「女使って仕事してたんだから自業自得でしょ」
「自意識過剰」
「ハニートラップだ」
「モテ自慢したいだけでしょ」
「訴えるなんて可愛くないな」
「女はズルイ」
などなどなどなど・・・
異性だけでなく同性からもバッシングされます。
問題が大きくなればなるほど、なぜか加害者擁護論が巻き起こるのも特徴的です。

こうなることがわかっているから、女性は声を上げられないのです。

実際に被害を受けた経験のある人や関わったことのある人にしか、セクハラ問題の本質は理解できないのかもしれません。
被害者をバッシングしている人たちは、自分や自分の家族が同じことをされたとき、どのように感じるのでしょうか。

女性が「当たり前」に働き活躍できる社会を形成するためには、この問題の根深さに社会が気づき認識を持つ必要があると考えます。

とは言え、今回のように唐突に加害者とされる方の声を公の場にさらすというやり方を支持できるかと問われれば、肯定することはできません。
どんな行為者にもプライバシーも人権もあるし、家族もいるのですから。