新たなフジテレビ問題に見る、組織の情報共有リスク

企業では、ハラスメントや重大事故が発生すると、「誰が悪かったのか」という議論になりがちです。
しかし、多くの事案を分析すると、本当の原因は個人ではなく、「組織の情報共有の失敗」にあります。
話題となっている芸能界の出来事も、その典型例として捉えることができます。

当事者双方の認識や説明には違いがありますが、公表されている内容を見る限りでは、「配慮が必要な情報が現場の当事者へ十分共有されていなかったこと」が問題の出発点となりました。

現時点で公表されている内容では、

  • 女性俳優側には身体接触に関する配慮事項があった
  • 制作側はそれを把握していた
  • 男性俳優本人には共有されなかった
  • その結果、アドリブで顎に触れる行為が起きた

という経過が説明されています。

組織マネジメントとして見るなら、この時点で最初の失敗は制作側のリスクマネジメントにあります。

これは一般企業でいえば、

  • 必要な安全情報を共有しない
  • 配慮事項を本人だけが知らない
  • 事故が起きてから初めて説明する

という状況と本質的には同じです。
「知っていれば避けられたリスク」を共有しなかった組織の責任は極めて重いと考えられます。

一般企業でも日常的に発生している

例えば、次のようなケースは珍しくありません。

  • 人事だけがメンタルヘルス上の配慮事項を知っている
  • 上司だけが家庭事情を把握している
  • コンプライアンス担当だけが過去のトラブルを知っている
  • 安全担当だけが危険箇所を把握している
  • ハラスメント相談窓口だけが再発リスクを認識している

その情報が「必要な人」に伝わらないまま現場が動き、結果として新たな問題が発生します。

そして事故が起きた後、「なぜそんなことをしたのか」と個人が責められる。
本人は、「そんな事情は知らされていなかった。」という状況。

これは個人のモラルの問題ではなく、組織設計の問題です。

情報は「知っている人がいる」だけでは意味がない

企業では、「情報共有を徹底しましょう」と言われますが、本当に必要なのは情報量を増やすことではありません。

重要なのは、必要な情報が、必要な人へ、必要なタイミングで届くことです。

情報管理では、「知るべき人(Need to Know)」という考え方があります。
一方で近年は、「安全を守るために共有すべき情報(Need to Share)」という考え方も重要になっています。

守秘義務を理由に必要な情報まで共有しなければ、現場では適切な判断ができません。
逆に、必要以上に広く共有すればプライバシー侵害になります。
このバランスを設計することが、組織ガバナンスです。

「悪意があったか」ではなく、「事故が起きる構造だったか」

ハラスメント調査では、「悪気はありませんでした。」という説明を聞くことが多くあります。

もちろん、悪意があれば問題です。

しかし、悪意がなかったとしても。
むしろ悪意がないからこそ、

  • 必要な情報が伝わっていない
  • 判断基準が曖昧
  • 役割分担が不明確
  • エスカレーションルートがない

のであれば、同じ問題は繰り返されます。

リスクマネジメントで問うべきなのは、「誰が悪いか」ではなく、「なぜその行動が起きる構造だったのか」です。

管理職が持つべき視点

管理職には、部下の行動を管理するだけでなく、「事故が起きにくい環境を設計する」という役割があります。

そのためには、次の4つの視点が欠かせません。

  • 配慮事項を誰が把握しているか
  • その情報を誰に共有する必要があるか
  • 共有しない場合のリスクは何か
  • 判断を個人任せにしていないか

これはハラスメントだけではありません。

労災、不正、情報漏えい、メンタルヘルス、品質事故など、あらゆるリスクに共通します。

演技の現場で確認されるべきこと

連日取り沙汰されている芸能界のトラブルでは、インティマシー・コーディネーターの必要性が説かれていますが、すべての現場に配置できるわけではありません。
一方で、リスクマネジメントとして「要配慮事項」を事前に整理・共有することは、比較的低コストで導入でき、多くのリスクを低減できます。
重要なのは、「何でも共有する」のではなく、「安全な演技に必要な情報だけを共有する」ということです。
個人の病歴や詳細なトラウマ歴など、不要な個人情報まで共有する必要はありません。

例えば、次のような項目を「出演者要配慮事項シート」として整理することが考えられます。

「出演者要配慮事項シート」の例

項目 確認内容 現場への共有例
身体接触 顔・頭・髪・肩・腰・手・脚など接触不可・要確認部位 「顔への接触は事前合意が必要」
接近距離 顔を近づける演技、抱擁、密着 「30cm以内の接近は確認が必要」
キス・性的表現 キス、性的接触、下着・裸体表現 「脚本外の追加不可」
アドリブ 身体接触を伴うアドリブの可否 「身体接触のアドリブは禁止」
トラウマ・配慮事項 PTSD等の詳細ではなく、配慮が必要な行為の有無 「突然背後から触れられる演技は避ける」
医療・身体的配慮 持病、妊娠、けが等で必要な配慮 「右肩に負荷をかけない」
宗教・文化的配慮 身体接触・服装等に関する配慮 「異性との接触は事前確認」
未成年者配慮 保護者同席、撮影時間等 制作ルールとして共有
撮影変更 当日の変更・追加演技 「変更時は出演者全員の同意を得る」
中止権限 安全上問題がある場合の停止権限 「誰でも撮影停止を申し出られる」

特に重要なのは「アドリブ」のルール

今回のような事案を考えると、最も重要なのは、身体接触を伴うアドリブは禁止(または事前合意必須)というルールでしょう。
セリフの変更は作品への影響が中心ですが、身体接触は、身体の自己決定権・心理的安全性・過去のトラウマに直接関わります。
したがって、この二つは同じ「アドリブ」でも全く性質が異なります。

俳優なら受け入れるべき、夫婦役なら当然、という価値観は、危険であると考えます。
台本があり、動作や配置の決まりもあり、リハーサル通りに進むことが原則であり、その原則が俳優の安心と安全を守っています。
ときに性的・センシティブな表現を求められる世界だからこそ、安全領域は脅かされることがあってはなりません。
「過度に神経質になるくらいで丁度いい」リスクマネジメントが必要なのではないでしょうか。

「なぜ配慮が必要か」は共有しなくてよい

もう一つ重要なのは、「なぜその配慮が必要なのか」まで現場全員が知る必要はないということです。
例えば、
×「過去に○○という被害に遭ったため」ではなく、
○「顔への接触は事前確認が必要」
だけで十分な場合がほとんどです。

一般企業にも応用できる考え方

これは企業でも同じです。
管理職は、「この社員には長時間残業をさせない」という情報は知る必要がありますが、その背景となる病名や私生活まで知る必要はありません。

必要な人だけが
必要な情報だけを
必要なタイミングで共有する
という「Need to Know(知る必要)」と「Need to Share(共有すべき)」のバランス設計です。

芸能界では「作品づくり」、一般企業では「業務遂行」という違いはありますが、「配慮事項を属人的な記憶や善意に任せず、仕組みとして管理する」という点では共通しています。

こうした「出演者要配慮事項シート」は、インティマシー・コーディネーターの代替ではありませんが、現場の安全文化を底上げするための基礎的なガバナンスツールとして十分に機能し得るでしょう。

ケンズプロの視点──「情報共有」はガバナンスそのものである

私たちは、ハラスメントを個人の問題として捉えていません。

多くの事案を分析すると、その背景には必ずと言っていいほど、

  • 情報共有の断絶
  • 役割・責任の曖昧さ
  • 判断の属人化
  • 相談・報告ルートの機能不全

といった組織構造上の課題があります。
だからこそ、再発防止とは「当事者を教育すること」だけでは終わりません。
必要な情報が、必要な人に、必要なタイミングで届く仕組みを設計すること。
それこそが、組織のリスクマネジメントであり、ガバナンスの本質なのです。

総括

今回の件は、単純な「加害者」と「被害者」の二項対立だけでは捉えきれません。
組織マネジメントの観点から見ると、最大の教訓は、「センシティブな配慮事項を誰が、どこまで、どのように共有し、現場で運用するか」というガバナンス設計の欠如です。
その結果、本人に悪意がなくても身体接触が起こり、双方が大きな心理的負担を受け、さらに直接のやり取りで問題が拡大したのであれば、個人の資質だけではなく、現場を支える組織の仕組みそのものを見直す必要があります。

芸能界は身体接触や感情表現を伴う仕事だからこそ、一般企業以上に、人権、境界線(バウンダリー)、同意(コンセント)、トラウマ・インフォームド・アプローチといった考え方を体系的に学ぶ環境が求められるでしょう。
今回の件は、一人の俳優や一人の被害経験者を責める問題ではなく、業界全体の安全配慮と人権教育のあり方を問い直す契機として捉えることが建設的だと考えます。

投稿者

株式会社 ケンズプロ
株式会社 ケンズプロ
ケンズプロは、ハラスメント等心理社会的リスクを管理し、健康的な心理社会的職場環境を実現するための組織ガバナンス設計・実装支援ファームです。