インティマシー・コーディネーター〜Noと言える現場を

映画監督が、主演俳優側からインティマシー・コーディネーターを入れてほしいという要望を断ったこと、その理由として「間に人を入れたくなかった」と監督が述べていることなどが、物議を醸しています。

監督は、俳優側からのこの要望を、最も断ってはならない立場の人です。
監督は現場の最高権力者ですから。

企業の代表者が、労働組合をつくるな、と言っているようなものです。

俳優が安心して演技に集中できる環境をつくることや、俳優の心理的負荷や人権に配慮することよりも、自分の作りたい作品を意のままにつくることを優先し誰も介入させないのは、独裁的で、絶対服従的で、危険です。

監督は、当事者間で密に意思疎通して進行したと主張していますが、パワーバランスが不均衡な間で、自由意思に基づきYesやNoを言えない間で、どのような話し合いをしたとしても、一方的な命令となっていた可能性は拭えません。

主演俳優さんは、「私は大丈夫です」と気丈に誇らしく振る舞っています。
本当に大丈夫なのかもしれませんが、本当は大丈夫でないかもしれません。
本当のところは、誰にもわかりません。
実は本人にもわからないものです。
人間は、自分で自分を納得させることで、自分のメンタルを守るものなのですから。

それでも堪えきれなくなるときが来るかもしれません。
意を決して、「大丈夫」と何度も自分に言い聞かせて自分を納得させながら、きっと命を削りながら挑んだはずの作品なのに、この騒動で、作品をまっすぐに観てもらえなくなった。
その悲しみは計り知れません。
彼女には、今すぐでも、何年先でも、必要なときに必要な助けを求められる場所に、これからはいてほしいです。

今後は、ICの介入や俳優の「No」の声を尊重しないような作品には、どの俳優も参加しないという強い意思を貫いてもらいたいと願います。
ハラスメントを「される側」に責任を強いるという意味ではなく。自身の心と人生を守るためです。
「面倒くさい俳優だ」「覚悟が足りない」などの言葉で非難されるかもしれませんが、それは一時的なもの、作品は永久に残るものです。
万が一意に反することがあったときに、自分の仕事や出演作品を誇れなくなります。
(そもそも、裸になると「役者魂を見せた」と評価するのは、裸を見たい人たちの願望から生まれた勝手な基準だと思うのです。)

制作側には、俳優やスタッフが安心して安全に働ける現場を作ってもらいたいです。
例えば、自分の子ども、配偶者、親兄弟が俳優だったら、同じような演出をするだろうか、同じような環境で演じさせるだろうか、と考えてもらいたいです。
自分の家族だったらさせない、止める、No!だというような仕事を、俳優や部下にさせてはならないと考えます。
もちろん、家族と、演じる覚悟を持っている職業人としての俳優を一緒にはできませんが、その問いかけは現場の安全策に不可欠な視点です。
俳優も、誰かの大切な家族です。