アフリカ系アメリカ人として初めて合衆国最高裁判所判事になったサーグッド・マーシャルの、若き日の弁護士時代の、実話に基づく物語。
以下、あらすじ(ネタバレ)を含みます。
1940年代、NAACP(全米黒人地位向上協会)の唯一の弁護士として、黒人ゆえの冤罪をなくす使命を帯びて活動していたサーグッド・マーシャルは、ある日、コネチカット州の事件を担当することになる。
運転手として働いていた黒人のジョゼフ・スペルは、雇い主で白人の女性エレノア・ストルービングから、レイプ容疑で告発された。
マーシャルは、現地のユダヤ人弁護士サム・フリードマンと共に、スペルの無実を証明しようと奮闘する。
裁判では、黒人であるマーシャルは裁判中の発言を禁じられてしまい、フリードマンがマーシャルから逐一メモで指示を受けながら弁護をすることになる。
こんな侮辱は初めてだと、判事への悔しさをあらわにするマーシャル。
弁護士が法廷でまであからさまに人種差別を受けるなんて。
検察官からも、差別的発言が頻発されます。
なお、当時コネチカット州では、黒人が弁護士事務所を開業する許可も下りなかったようです。
この事件は新聞紙面を賑わせるほどの大注目を集め、担当弁護士となったフリードマンも、親類や世間から非難を浴びる。
そんな中、NAACPは、「スペル事件は黒人裁判の不公平を証明する」と新聞発表する。
コメントを求められたマーシャルは、記者たちの前で発言する。
黒人は弁護士も自由に選べず、陪審からも外されるのだから、不公平は証明済み。
黒人への恐怖と偏見がこの事件の核心だ。
我々は法の下で平等を約束されているが、その約束は全く守られていない。
公平な陪審による正義が欲しい。
憲法は黒人のために書かれたものではないが、この裁判により今後は憲法が黒人の人権の拠り所となる、という趣旨(だと解釈しました)の発言を。
聴衆から罵声を浴びせられるが、マーシャルは動じない。
マーシャルが煽ったため、偏見が一気に吹き出し、世論は一層ヒートアップする。
スペルは無実を主張していたが、司法取引を持ちかけられ、心が揺れる。
マーシャルはスペルに言う。「私たちの先祖は奴隷だったが、今は奴隷じゃない。それは、我々の先祖が立ち上がり闘ったからだ。先祖が闘って勝ち取った自由を、簡単に返上していいのか。無実なのに。自由が欲しいなら闘わなければ。あなたは一人ではない。私がここにいる。我々は昔は持っていなかった“法”を手に入れた」と。
そして、裁判は思わぬ方向へと進み、最終局面を迎える…。
最初は人種差別意識が強かった判事も、最後は動かされた。
それは、「真実」の力だと思います。
不条理な差別を情で訴えるのではなく、犯罪行為がなかった事実を証明したから、差別が不条理であることが証明されたのです。日本にも様々な差別があります。
例えば女性差別をなくすためには、「性別による能力差はない」という真実、つまり女性も有能であるという真実を、証明し続けることが重要なのでしょう。
差別される側の女性が立証責任を負っているということではもちろんなく、差別する側が女性の無能さを立証するなら受けて立とうという立場ではありますが、彼らに意識の変革を期待しても無駄ですので、マーシャルが映画の中で言うように、立ち上がり、闘わなければ勝ち取れません。
女性が能力を発揮し証明することで、女性排除が誤りであることを認めさせることができるのです。
スペル裁判での劇的勝利の後、フリードマンは、コネチカット州において公民権のためにたゆまず闘った。
マーシャルは、公民権裁判の主たる戦略家として浮上し、連邦最高裁での32の公民権裁判のうち、3件を除くすべてで勝訴した。
1954年、マーシャルは、ブラウン対教育委員会裁判で勝利し、公立学校における人種差別は非合法となった。
1967年、マーシャルは、アフリカ系アメリカ人として史上初めて合衆国最高裁判所の判事に任命された。
映画の最後に、マーシャルの肉声が流れる。
今もなお、差別は存在する。より巧妙に…という声が。
マーシャル判事が亡くなったのは1991年。
2023年になった現在も、米国での人種差別は続いています。
目を覆いたくなるような、あまりに残酷な事件が、あまりにたくさん。
根は深く、少し進歩してはまた後退して、を繰り返しています。
Comment
人間は、法の下に、そもそも地球の上に、天の下に、平等であるはずです。
誰もが誰かの大切な子として生まれ、ご飯を食べて、寝て、働いて、同じように歳をとっていきます。
叩かれれば痛いし、侮辱されれば悲しいし、より良く生きたいと願う、感情を持つ生き物です。
性別や肌の色、生まれた国や家庭環境、学歴、年齢等により、上下や優劣を作ってはなりません。
「傷つけても良い人間」はいません。
少なくとも日本においては、幼少期の学校や家庭におけるそのような教育により、差別意識を一定程度抑止することは可能だと考えます。
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