重大事故から考える「異論を言える組織」であることの意味ー心理的安全性とは何か

東武日光線の事故に関する中間報告では、次の列車までの時間が短いことに疑問を感じながら、「意見を述べると怒られる」「余計なことを言うともめごとになる」と考え、異論を口にしなかった関係者がいたことが明らかになりました。
事故防止の基本は、まずルールを守ることです。しかし、それだけでは十分ではありません。
「危ない」「おかしい」「一度止めた方がよい」と感じた人が、立場にかかわらず声を上げられること。さらに、その声を受けて組織が実際に立ち止まれることです。
心理的安全性や風通しの良さは、単なる働きやすさの問題ではありません。事故、不正、ハラスメントなどを防ぐための、重要なガバナンス機能でもあります。

「危険に気づいていた人」がいた

2026年8月、東武日光線の新鹿沼駅構内で、除草作業中の作業員4人が列車と接触し死亡する事故が発生しました。
9月30日に東武鉄道が国土交通省関東運輸局へ提出した中間報告では、安全管理上のさまざまな問題が明らかになっています。
中でも、組織マネジメントの観点から重く受け止める必要があるのが、現場に疑問を感じていた人がいたという点です。
次の列車までの時間が短い中で線路上を進むことについて疑問を感じながらも、列車見張り員は「意見を述べると怒られると思った」、別の作業員も「余計なことを言うともめごとになると思った」として、異論を述べなかったことが報じられています。

つまり、危険を認識する人がいなかったのではありません。
危険を認識した人の声が、意思決定に入らなかったのです。

ここに、企業が考えるべき重要な問題があります。

ルール遵守は、すべての前提

もちろん、こうした事故について「心理的安全性がなかったから」のみを原因とするべきではありません。

安全に関わる業務では、

  • 誰が指揮するのか
  • 誰が安全を確認するのか
  • どの条件で作業を開始するのか
  • どの条件になったら退避するのか
  • 誰に作業を止める権限があるのか

といったルール、役割、権限を明確にし、それを確実に遵守することが大前提です。
経験やその場の判断によって、正式な指揮命令系統や安全手順が曖昧になってはなりません。

しかし、どれほど詳細なルールを定めても、現実の現場で起こり得るすべての状況を事前に規定することはできません。
だからこそ、ルールと人の判断をつなぐ仕組みが必要になります。

「何かあれば言ってください」では足りない

多くの企業では、「気づいたことがあれば上司に報告してください」「問題があれば相談してください」と伝えています。
ところが、それだけで異論が出るとは限りません。
「言ったら怒られる」
「面倒な人だと思われる」
「そこまで言わなくてもいいのではないか」
「上司が決めたことだから」
「余計なことを言って人間関係を悪くしたくない」
—こうした認識があれば、人は沈黙します。

そして組織にとって本当に怖いのは、問題が存在すること以上に、問題に気づいている人が沈黙することです。
事故だけではありません。不正、ハラスメント、品質問題、情報漏洩、過重労働、顧客トラブル――。
重大な問題が表面化した後、「以前からおかしいと思っていた」「実は何人も気づいていた」という話が出てくることがあります。

組織の中に情報は存在していた。
しかし、意思決定者まで届かなかった。
—これは単なるコミュニケーション不足ではなく、ガバナンス上の問題です。

心理的安全性は「仲の良い職場」をつくることではない

心理的安全性という言葉は、ときに「何でも話せる職場」「上司が優しい職場」という意味で理解されます。
安全管理やコンプライアンスの観点では、より重要な意味を持ちます。

上位者の判断や、その場の多数意見に反する内容であっても、組織に必要な異論を表明できること。
そして、異論が出たとき、上位者がそれを排除せず、必要であれば意思決定を再検討できることです。

異論を「反抗」と捉える組織では、情報が上に行くほど都合のよいものだけになっていきます。
逆に、「その判断は本当に安全ですか」「一度確認した方がよいのではないですか」という言葉を、組織を守る情報として扱える会社では、重大事故に至る前に意思決定を修正できる可能性が高まります。

「言える」だけでなく、「止められる」組織へ

さらに重要なのは、心理的安全性だけで終わらせないことです。

声を上げることができても、
「わかった。でも予定どおり進めよう」
で終わってしまえば、安全管理としては十分ではありません。

必要なのは、
違和感を認識する
→ 異論を表明する
→ 情報を確認する
→ 判断を再検討する
→ 必要なら止める

という一連の仕組みです。

特に安全、品質、コンプライアンスに関わる業務では、一定の条件下で現場の人が作業や判断を止められる権限、エスカレーションルート、再確認の手順まで設計する必要があります。
つまり、「異論を言える関係性」と「異論を処理できる仕組み」の両方が必要なのです。

異論は、組織を邪魔するものではない

経営や現場では、スピードも重要です。
すべての判断について全員が意見を述べ、毎回議論をやり直していては、組織は動きません。
だからこそ、何については迅速に決定し、何については立ち止まるのか、その判断基準が必要です。

特に、安全・法令・倫理・品質・人権など、重大な損失につながり得る領域で発せられた異論は、一度立ち止まるためのシグナルとして扱う。
この原則を組織の中に持っておくことが重要です。

異論は、意思決定を遅らせるためのものではありません。
重大な誤りを修正するために、組織に備わっているブレーキです。

「待ってください」と言える組織か

事故や不祥事を防ぐために、ルールを整備し、教育を徹底することは不可欠です。
それと同時に企業が確認すべきなのは、現場の一人が「待ってください」と言ったとき、本当に組織が止まれるのか、ということではないでしょうか。

「言ったら怒られる」
「余計なことを言うともめる」
そう感じさせる関係性があるだけで、重要なリスク情報は組織の中から消えていきます。

  • ルールを守る
  • 役割と責任を明確にする
  • 異論を言える関係性をつくる
  • 異論が出たら確認する
  • 必要であれば、立ち止ま
  • る

—風通しの良さや心理的安全性は、単なる職場満足度の問題ではありません。
現場に存在する違和感や危険情報を意思決定につなぎ、事故や不正を未然に防ぐための組織ガバナンスの基盤です。

そして、組織の安全性は、マニュアルの厚さだけでは測れません。
「危ない」と感じた一人の異論を、組織がどう扱うか。
そこに、その会社の安全文化とガバナンスの実効性が表れます。

投稿者

株式会社 ケンズプロ
株式会社 ケンズプロ
ケンズプロは、ハラスメント等心理社会的リスクを管理し、健康的な心理社会的職場環境を実現するための組織ガバナンス設計・実装支援ファームです。