フジテレビ問題から一年―放送ガバナンス改革に求められる次の一歩

フジテレビを巡る一連の問題から一年が経過しました。
ある媒体では、当時の問題の振り返りとともに、その後の改革の進展が報じられています。

記事の中では、センシティブな事象を想起させるバラエティ番組の演出が、放送直前になって問題視され、結果として放送が見送られた事例が紹介されています。
最終的に放送されなかったという点だけを見ると、適切な判断がなされたようにも見えます。

しかし、ガバナンスの観点からは、この事例を「成果」として受け止めてよいのか、慎重に考える必要があります。

問題は「止められたか」ではない

ガバナンスの評価は、結果論では測れません。
問われるべきなのは、次の点です。

  • なぜ、その企画が放送直前まで進行したのか
  • なぜ、より早い段階で立ち止まる仕組みが働かなかったのか

もし判断が、「誰かが違和感を覚えた」「直前になって危うさに気づいた」という偶然性に依存しているのであれば、それは再発防止とは言えません。

今回は結果的に回避できたとしても、同じ状況が生じた際に、必ず同じ判断がなされる保証はないからです。

判断が「感覚」に委ねられていないか

記事では、局幹部のコメントとして、

「白黒がついていない問題に軽々しく触れるべきではない」
「全ての関係者にとって不幸な事態を招く」
「最終的な責任は放送局側にある」

といった認識が示されています。
これらの考え方自体は妥当です。
しかし、その内容は抽象的であり、制作現場で日常的に判断に用いる基準としては十分とは言えません。

ガバナンスにおいて重要なのは、価値観の共有ではなく、判断基準の共有です。

  • どのようなテーマが
  • どのような理由で
  • どの段階において
  • 誰が立ち止まる判断を行うのか

これらが言語化され、制作現場にまで浸透していなければ、判断は個人の感覚や経験に委ねられます。

その結果、

  • 企画段階では問題視されず
  • 制作が進行し
  • 放送直前になって初めて「危うさ」に気づく

という不安定なプロセスが生じます。
これは、結果として回避できたとしても、統治としては脆弱な状態です。

「制作現場で止めるべきだった」という言葉の危うさ

「本来は制作現場で止めるべき企画だった」という言い回しは、一見すると責任の所在を明確にしているように見えます。

しかし、この表現には注意が必要です。

制作現場は、表現を生み出す場所です。
その現場に対し、「察して止めること」を期待する設計は、ガバナンスの役割を現場に委ねている状態とも言えます。

本来、統治の役割とは、

  • 何が許容されるのか
  • 何が慎重に扱われるのか
  • どこに線が引かれているのか

を、事前に明確に示すことです。

線が引かれていないまま、「結果的に止められた」ことだけが評価されると、次もまた「たまたま気づいた誰か」に依存する構造が温存されてしまいます。

公共性の高い表現に求められる原則

放送は、単なる娯楽ではありません。
公共空間における表現である以上、特に未解決の問題や、被害や対立を含む事象を想起させる表現については、慎重な検討が求められます。

考慮すべき観点は、例えば次のようなものです。

  • 当事者や関係者への影響
  • 視聴者の受け止め方
  • 二次的被害や誤解が生じる可能性

重要なのは、「触れてはいけない」という禁止ではありません。
「なぜ今は触れないのか」「どの条件が整えば扱えるのか」を原則として整理することです。

この原則が明文化されていれば、制作現場は萎縮するのではなく、むしろ安心して判断ができます。
若手や外部スタッフであっても、「基準に照らすと再検討が必要です」と、組織の言葉で立ち止まることが可能になります。

ガバナンス改革の指標は「再現性」

ガバナンス改革が実効性を持つかどうかは、善意や個人の能力では測れません。

  • 誰が判断しても同じ結論に至るか
  • なぜその判断に至ったのかを説明できるか
  • 仮に失敗した場合でも、どのプロセスに課題があったのかを検証できるか

これらが整って初めて、「再発しにくい構造」が成立します。

放送直前に止められたという事実は、危機を回避した結果であって、改革の到達点ではありません。

おわりに

――判断を、個人から構造へ

放送局に求められているのは、表現を縛ることではありません。
表現の自由と公共性を両立させるための、判断のための共通言語を持つことです。

真に問われるのは、

  • なぜ放送直前まで進んだのかを説明できるか
  • 次に同じ状況が生じたとき、同じ判断を再現できるか

という点です。

ガバナンス改革とは、注意喚起を重ねることではありません。
判断を、個人の感覚から、構造と原則へ移行させる営みです。

今回の事例は、その必要性を改めて示しています。
原則の言語化と制作現場への浸透こそが、次の一年に問われる改革の中身だと言えるでしょう。

投稿者

株式会社 ケンズプロ
株式会社 ケンズプロ
ハラスメントを排し、個の真価を最大化する。ケンズプロは、日本の技術が世界を席巻する『正道』を論理で描く、組織ガバナンスの専門パートナーです。