ある地方金融機関において、特定の投資用不動産スキームに対する不適切融資が長期間継続し、社会問題化しました。本件の本質は、個別の不正行為ではなく、「意思決定の構造」が恒常的に歪められていた点にあります。営業部門が審査機能を実質的に支配し、異論が制度的に排除され、情報が経営層に届かない状態が固定化していました。これは倫理の問題ではなく、統治設計の欠陥です。結論として、本件は「善管注意義務の未履行」ではなく、「履行不能な構造を放置した経営責任」の事案です。
不正はなぜ見逃され続けたのか
金融機関における融資審査は、本来「営業のブレーキ」として機能するべきものです。しかし現実には、多くの組織で次のような誤解が存在します。
・営業目標達成が最優先
・審査は形式的なチェック機能
・トップの意向は絶対
この前提が固定化すると、審査部門は独立機能ではなく、「承認のための装置」に変質します。
結果として、
・不自然な案件でも通過する
・リスクは認識されているが無視される
・「問題がない」という結論だけが積み上がる
という状態が生まれます。
重要なのは、これは「誰かが悪意を持ったから起きた」のではなく、「止める構造が存在しなかった」ために起きたという点です。
ガバナンス崩壊の構造
本件は、三つのガバナンスが同時に崩壊した典型例です。
意思決定ガバナンスの崩壊
本来の構造:
営業(推進) ↔ 審査(牽制)
実際の構造:
営業 → 審査(従属)
審査は「NOを出す機能」ではなく、「YESを正当化する機能」に変質していました。
これは意思決定の正当性を自ら放棄している状態です。
情報ガバナンスの閉塞
現場ではリスクや不正の兆候が認識されていたにもかかわらず、
・報告が上がらない
・上がる前に加工される
・経営層には成功事例のみが届く
という「情報の浄化」が起きていました。
この状態は、経営者にとって最も危険です。
なぜなら、「知らなかった」ではなく「知り得たはず」という責任に転化するためです。
役割ガバナンスの崩壊
さらに致命的だったのは、役割よりも「個人」が優越していた点です。
・創業家・トップの意向が絶対
・異論を唱えることがキャリアリスクになる
・形式上の役職よりも“空気”が支配する
この状態では、組織は「制度」ではなく「人格」で動きます。
役割が機能しない組織において、善管注意義務は成立しません。
実務で繰り返されるパターン
多くの企業において、類似の構造は珍しくありません。
・審査・法務・人事が牽制機能を失っている
・リスク情報が経営層に届かない
・トップの意向を忖度する文化がある
・異論が「非協力」と評価される
再発防止策の議論では、次のような対策が多く見られます。
・研修の実施
・規程の見直し
・通報制度の強化
しかし、これらは構造を変えません。
その結果、「同じ種類の問題が、形を変えて再発する」という現象が起き続けます。
再発を止めるための実装
本件から導かれる結論は明確です。
必要なのは「精神論」ではなく「物理的な統治設計」です。
① 意思決定構造の分断
・審査部門の評価権を営業から完全に切り離す
・NOを出した判断を評価する制度設計
異論を制度化しない限り、意思決定の正当性は担保されません。
② リスク情報の直通回路
・社外取締役・監査役への直接報告ルートの明文化
・エスカレーション条件の定義
情報ガバナンスとは、「忖度を不可能にする回路」です。
③ 善管注意義務のログ化
・議事録に対立意見と検討プロセスを記録
・判断の根拠を可視化
善管注意義務は、結果ではなくプロセスで評価されます。
横接続:これは金融の問題ではない
この構造は、金融機関特有のものではありません。
・製造業:品質不正
・IT企業:セキュリティ軽視
・人事領域:ハラスメント放置
いずれも共通しています。
「止めるべき機能が、止められない構造になっている」
つまり、本質は業界ではなく、意思決定構造の設計不全です。
結論
この事件で失われたのは、倫理や良心ではありません。
「自らの責任を守るための構造」です。
経営者がインテグリティを精神論として扱う限り、組織は必ず同じ過ちを繰り返します。
インテグリティとは、理念ではなく構造です。
そしてその構造こそが、企業価値と経営者個人の責任を同時に守る唯一の防壁になります。
投稿者
- ハラスメントと不正を構造から正し、判断の質を企業価値へと転換する―ケンズプロは、組織ガバナンスを実装する戦略パートナーです。
