大学の不正は、しばしば、
「学問の世界の特殊性」
「教授自治という独自文化」
によって説明されがちです。
しかし、実務の現場で不正事案を横断的に見ていくと、大学で起きている問題の多くは、企業でも繰り返されてきた構造と驚くほど似ています。
本稿では、大学と企業を対比しながら不正が生まれる共通構造を整理します。
1. 不正は「業種」ではなく「構造」に宿る
企業不祥事が発覚するたびに、かつてはこう言われてきました。
- 「この会社の体質が特殊だった」
- 「一部の幹部が暴走した」
- 「企業倫理が低かった」
しかし現在では、不正は特定業界の問題ではなく、組織構造の問題として理解されています。
同じことが、今まさに大学でも起きています。
- 権限が集中している
- 成果が強く評価される
- 内部から異議が出にくい
- チェックは形式的
これは、不正を生みやすい典型構造です。
2. 大学と企業の「権限集中」の似た形
大学では、教授に次のような権限が集まりやすい傾向があります。
- 研究方針の決定
- 研究費の使用
- 人的配置・評価
- 研究室内の事実上のルール形成
一方、企業で過去に不正が多発した組織でも、
- 事業責任者に権限と評価が集中
- 数字を出す限り、細部は問われない
- 上位層が現場を「信頼して任せる」
という構造が見られました。
立場や名称は違っても、「成果を理由に、判断が一人に委ねられる構造」は共通しています。
3. 「成果が出ている間は見ない」という判断
大学でも企業でも、不正が表面化するまでの過程には共通点があります。
- 成果が出ている
- 評価が高い
- 外部からの信頼も厚い
こうした状況では、
今は触れなくてよい
任せておいた方がよい
という判断が、無意識に選ばれます。
企業では、これが、粉飾・品質不正・データ改ざんにつながりました。
大学では、研究費不正や運営上の逸脱として現れます。
「見ない」という判断は、放置と同義です。
4. 内部通報が機能しない理由も同じ
企業不祥事の検証では、必ず次の言葉が出てきます。
「気づいている人はいた」
大学でも状況は変わりません。
- 学生や若手研究者は、評価や進路を恐れる
- 職員は、権威や前例に遠慮する
- 周囲は、「自分の問題ではない」と距離を取る
これは制度の有無ではなく、組織内の力学の問題です。
企業が長い時間をかけて学んだのは、
内部通報制度は「ある」だけでは意味がない
という事実でした。
5. 企業が先に経験した「失敗のコスト」
企業では、不正が発覚した後、
- 巨額の損失
- 信用失墜
- 事業撤退
- 組織再編
といった極めて高い代償を払ってきました。
その結果、
- 権限分散
- 内部統制
- 第三者の関与
- ガバナンス強化
が、経営の前提条件となりました。
大学は今、企業が既に通過した局面に差しかかっているとも言えます。
6. それでも大学が企業と同じ道を辿る必要はない
重要なのは、大学が企業と全く同じ統治モデルを採用することではありません。
大学には、
- 学問の自由
- 長期的視点
- 多様な価値創出
という、企業とは異なる使命があります。
しかし、
- 権限の分散
- 判断の可視化
- 是正ルートの独立性
といった統治の原理は、共通です。
企業の失敗は、大学が同じ代償を払わずに済むための先行事例でもあります。
7. 問われているのは「厳しさ」ではなく「設計力」
大学でも企業でも、不正が起きると、
- 規則を厳しくする
- 研修を増やす
- 監視を強める
といった対応が取られがちです。
しかし、企業の実務が示してきた教訓は明確です。
不正は、監視ではなく設計で減る。
- 一人で抱え込まない構造
- 判断が交差する設計
- 声が届く経路
これらが整って初めて、倫理や意識が意味を持ちます。
おわりに ― 大学は、企業の「過去」から学べる
大学と企業は違う。
それは事実です。
しかし、不正が生まれる構造は驚くほど似ている。
大学は今、企業が過去に経験した失敗から学ぶことができます。
個人を責める前に、
文化を嘆く前に、
まず設計を見直すこと。
それが、研究の自由と社会的信頼を同時に守る、最も現実的な選択ではないでしょうか。
投稿者
- ハラスメントを排し、個の真価を最大化する。ケンズプロは、日本の技術が世界を席巻する『正道』を論理で描く、組織ガバナンスの専門パートナーです。
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