国際的なスポーツイベントのたびに、選手が「美人」「イケメン」「既婚か独身か」と語られる現象が繰り返されます。一見軽口に見えるこの言説は、実は専門性の評価軸が属性へとすり替わる構造問題です。これはエンタメの話ではありません。企業におけるセクシュアルハラスメントや評価バイアスと同型の統治課題です。本質は「異性を見ること」ではなく、「公的領域にどの評価軸を持ち込むか」という設計の問題にあります。規範は統制ではなく、場を機能させるための設計です。
競技の場が消費の場にすり替わるメカニズム
たとえばオリンピックのような国際大会は、本来、専門性と鍛錬の成果を競う場です。
しかし報道や実況の文脈では、しばしば選手の容姿や恋愛事情が語られます。
評価軸は次のようにすり替わります。
- 本来の評価軸:技術・戦略・鍛錬・精神性
- すり替わった評価軸:容姿・異性としての魅力・恋愛可能性
この瞬間、アスリートは「プロフェッショナル」から「属性のある身体」へと引き戻されます。
称賛の形をとっていても、専門性への敬意は相対的に低下します。これは個人の感想の問題ではなく、評価基準の混線という構造問題です。
「異性を異性として見る」ことの誤解
「異性を異性として見るのは自然だ」という擁護は繰り返されます。
しかし問題は感情の発生ではありません。
問題は、その視線を公的領域に持ち込むことです。
実況、報道、職場評価、業務コミュニケーションといった公的空間では、評価は目的合理性に従う必要があります。
ここに性的関心を混入させると、評価の公正性が損なわれます。
企業では、たとえば次のような言説が生まれます。
- 仕事はできるけど女性だから…
- 愛嬌があるから評価される
- イケメンだから営業向きだ
これらはすべて、専門性の評価がジェンダー的属性に侵食される構造です。
スポーツイベントでの容姿言及と、企業内セクシュアルハラスメントは、評価軸混入という点で同型です。
視線を向けられる側の内面で起きていること
スポーツの舞台や職場において、専門性とは無関係な「美人」「イケメン」といった言及を受けたとき、当事者の内面では単純な不快感以上の反応が生じています。
多くの場合、それは次のような多層的な感情です。
1. 不快感 ― 境界線が侵された感覚
まず生じるのは、身体的なざわつきに近い不快感です。
「ここはその話をする場ではない」という直感が働きます。
- 公的空間に私的視線が入り込んだ違和感
- 目的から逸れた評価を受けた感覚
- 自分のコントロール外で身体が語られる感覚
これは単なる好みの問題ではなく、場の機能が壊れた感覚です。
2. 屈辱感 ― 専門性が縮減された感覚
より深い層では、屈辱感が生まれます。
- 長年の鍛錬や努力よりも外見が優先された
- 成果ではなく属性で記憶された
- 自分の存在が“能力”ではなく“身体”に還元された
これは「軽く扱われた」という感覚です。
称賛であっても、評価軸がずれていれば、本人にとっては専門性の否定に近い体験になります。
3. 悔しさ ― 努力が見えていないという痛み
アスリートであれ、専門職であれ、成果の背後には膨大な訓練と選択があります。それが語られず、容姿が語られたとき、悔しさが生じます。
- 自分の積み上げが理解されていない
- 本質に触れてもらえない
- 真剣勝負の場が消費の対象になった
この悔しさは、怒りよりも静かな失望に近いものです。
4. 無力感 ― 反論すれば自分が問題化される構造
さらに複雑なのは、「違和感を表明すると自分が過敏扱いされる」という構造です。
- 笑って流すことを期待される
- 指摘すると空気を壊す側になる
- “ノリが悪い”と評価される可能性
このとき当事者は、
不快を感じた自分の感覚を否定するか、沈黙するかを迫られます。
それは、二重の負荷です。
5. 警戒心の常態化 ― 常に見られているという緊張
繰り返されると、感情は個別事象を超えます。
- 次は何を言われるかという警戒
- 評価が純粋でない可能性への疑念
- 実力以外の軸で判断される不安
これは心理的安全性を直接損ないます。
能力発揮に必要な安心感が削られます。
6. 尊厳の揺らぎ ― “主体”から“対象”への転換
最も深い層では、主体性の揺らぎが起きます。
- 自分が行為者ではなく観賞物になった感覚
- 自分の意志とは無関係に語られる身体
- “見られる側”に固定された立場
これは、尊厳の問題です。
専門家として扱われるはずの場で、対象化される経験です。
なぜ同じ問題が繰り返されるのか──構造の分析
この問題は個人の品性だけでは説明できません。背景には次の構造があります。
- 場の目的と視線の質が設計されていない:競技の場・職場の場に私的欲望を持ち込まないという線引きが制度化されていない。
- 指摘すると「堅苦しい」と返される文化:違和感を表明する側が過敏と扱われ、沈黙が合理的選択になる。
- 見る側の無自覚な優位性:常に評価者側に立つ人ほど、構造を問題として認識しにくい。
ここで重要なのは「構造」という視点です。
評価基準、発言許容範囲、リスク認識、懲戒基準が接続されていないと、場の目的と無関係な視線が入り込みます。
これは企業統治における
- 権限と責任の不接続
- 評価と理念の不整合
- リスクと処分の非対称性
と同じ構造問題です。
実務で見える共通パターン
多くの企業では、ハラスメント事案のヒアリングで次の言葉が出てきます。
- 「悪気はなかった」
- 「褒めただけ」
- 「場を和ませたかった」
再発防止策の議論で最も多いのは、「研修を増やす」という対症療法です。しかし本質は評価設計にあります。
- 評価制度に属性バイアス排除が明文化されているか
- 上位者の発言リスクが実際に管理されているか
- 不快を表明できるルートが機能しているか
実況や報道も同様です。個々の解説者の資質だけでなく、編集方針やチェック体制が問われます。
何から始めるか──実装の三段階
この問題は道徳論ではなく、設計論です。
1. 評価軸の明文化
公的領域で用いる評価基準を明示する。
2. 混入要素の定義
容姿・恋愛事情・ジェンダー属性など、評価に含めない要素を明確化する。
3. リスク接続
逸脱行為が組織リスクであることを制度上接続する。
判断者は誰か。
企業であれば経営層と人事、スポーツ領域であれば放送局や大会組織委員会です。
資料として必要なのは、評価基準、行動規範、懲戒基準、通報経路の整備です。
他領域との接続
この問題はスポーツやハラスメントに限りません。
- 人的資本開示
属性ではなく能力・成果で評価する設計が求められる。 - ESG・ガバナンス
評価基準の透明性が企業価値に直結する。 - CEO意思決定
本質と無関係な要素を排除する枠組みが必要。
視線の質は、意思決定の質と同義です。
Q&A
Q1. 容姿を褒めることはすべて問題になりますか?
問題は文脈です。公的評価の場で専門性より前に属性が語られる場合、評価軸が歪みます。
Q2. 規範が強まるのは言論統制ではありませんか?
統制ではありません。評価設計の合理化です。不適切な行為が経済合理性を失うだけです。
Q3. 企業で何から見直すべきですか?
評価制度と上位者の発言管理です。研修は補助的手段です。
Q4. なぜ違和感を表明すると反発されるのですか?
既存の優位構造を揺るがすため、防衛反応が起きます。制度化しなければ変化は起きません。
まとめ
アスリートをアスリートとして扱う。
専門家を専門家として扱う。
同僚を同僚として扱う。
これは道徳ではなく、場を機能させるための設計原則です。
見る側の成熟度が、競技の品格を決め、組織の品格を決めます。
スポーツイベントで感じる違和感は、企業組織のハラスメントと同じ根を持っています。
構造を言語化し、評価軸を再設計すること。
それが健全な場をつくる最短距離です。
投稿者
- ハラスメントと不正を構造から正し、判断の質を企業価値へと転換する―ケンズプロは、組織ガバナンスを実装する戦略パートナーです。
