組織ガバナンスを構築する上で、避けて通れないのがハラスメントの問題です。
特にセクシャルハラスメント事案において、第三者、あるいは加害者側から投げかけられる「なぜその場で拒絶しなかったのか」「なぜ今更になって訴えるのか」という問い。
その問い自体が、被害者の負った傷をさらに深くえぐる「セカンドハラスメント」になり得ることを、私たちは自覚しなければなりません。
今回は、被害者が置かれる精神的な極限状態と、沈黙の裏に隠された構造的な葛藤について、論理的に紐解いていきます。
「侵される」ということの耐え難い不快感
セクハラを受けたことのない方に、その苦痛を完全に理解していただくのは容易ではありません 。 ある被害者は、その感覚を「体の中に直接手を入れられて、心臓を掴み出されるような感覚」と表現しました 。
それは、単なる「嫌な出来事」ではありません。
- 嫌いな虫が全身を這い回る感覚
- 嫌いな食べ物を口に無理やり押し込められる苦痛
- 黒板をひっかく不快な音を一日中聞かされるストレス
セクハラは、肉体を侵犯するだけでなく、精神をも虐殺する行為であり、時に被害者を死の選択へと追い込むほどに過酷なものです。
「拒絶しない」のではなく「できない」構造
被害者の多くが、その場で明確な拒絶を示しません。
そこには、個人の性格の問題ではなく、組織や社会との関係性における「合理的な理由」が存在します。
- 関係性の維持:お世話になっている相手への気遣いや、気まずい空気、関係性の悪化を恐れる。
- 自衛の選択:人事上の不利益(降格や嫌がらせ)への恐怖や、逆上による生命の危険さえ頭をよぎる。
- 社会的な抑:「ノリが悪い」と思われることへの懸念や、性的な解釈をする自分がおかしいのではないかという自疑。
その結果、本当は「NO」であっても、表面上はつくり笑顔で受け入れてしまう。
上下関係や取引関係にある者同士の間でなされた「合意」や「笑顔」は、その真意を疑うべきなのです。
沈黙の時間は「傷の深さ」と比例しない
「なぜ、何十年も経ってから告発するのか」という疑問に対し、答えは一つです。
「やっと事件について話せる精神状態になったから」に他なりません。
セクハラの傷は、一生涯元に戻らないこともあるほど深く、PTSD(トラウマ)として日常生活を脅かし続けます 。
- フラッシュバック:突然、当時の光景が恐怖と共に蘇る。
- 回避:出来事を思い出す場所や人を避け、そのためにキャリアの機会を失う。
- 過覚醒:常に緊張し、些細な物音にも怯える。
沈黙の長さで、被害者の心情や傷の深さを測ることは不可能です。
むしろ、長年黙り続けるしかなかった時間の重さこそ、考慮されるべきでしょう。
組織に求められる「受容」の作法
「信頼関係があれば許される」というのは、加害者側の幻想です。
信頼していたからこそ、裏切られた絶望は深く、人間不信へと繋がります。
私たちに求められるのは、被害者の心情を100%理解することではありません。
「理解はできなくても、信じ、軽んじないこと」です。
「辛かったんですね」と受容し、被害者の言葉にできない気持ちを汲み取る。
もし自分の家族が同じ目に遭ったら、という想像力を失わないこと。
組織の「格」とは、弱者の沈黙の上に成り立つものではありません。
一人ひとりの尊厳が守られ、論理と誠実さが貫かれるガバナンスこそが、企業の真の価値を決定づけるのです。
投稿者
- ハラスメントを排し、個の真価を最大化する。ケンズプロは、日本の技術が世界を席巻する『正道』を論理で描く、組織ガバナンスの専門パートナーです。
